![]() |
私が覚えている一番小さな頃の記憶は、3歳のときのものだ。私は毎日のように、新聞に入っているチラシやカレンダーの裏にお絵描きをしていた。 お絵描きに飽きると、新聞の文字を切り抜いて脅迫状を作り、隣家にそっとおいといたりした。 幼稚園に入園し、卒業するまで、”将来なりたい職業”は「画家」であった。 しかし、産まれた頃から皮膚が弱く、指紋のなかった私は「完全犯罪は可能かもしれない」と、思うようになり、密かに泥棒になることにも憧れていた。
さらに私はとてもお利口さんな子供であったため、小学校に入学する前から、兄の教科書を読み書きし、国語だの算数だのはできるようになっていた。 |
|
|
![]() |
お勉強がなかなか出来る子供であった私に、両親はその頃「ザ・ガマン」なる番組の受け売りで、私に「東京6大学に入れ!」などと強制しはじめた。私は私で自分が天才だと思っていたので、「まぁ、東大にでも入っておくか」と、思っていたが、進学塾に入り勉強していくと、応用力がないことが発覚し、カンニングの天才になっていった。 勉学では食っていけない、ならばスポーツだ!!と、中学時代は剣道、高校時代は少林寺拳法で大会に出場するまでにはなった。 しかし、本番に弱いタイプの私は大舞台では実力を発揮できず、発揮できるのは、後輩に防具を付けさせず相手させているときだけであった。
じゃあ、何で食っていけばいいのだ!? と、考えてみると、なにをやっても凡才でしかなかった私が、唯一他人と比べて秀でていて、どうにかモノになりそうなものは「美術」しかなかった。 |
|
|
![]() |
私が選択できる道は4つであった。4つの道は、「大学」、「短大」、「専門学校」、「就職」である。 女は「大学」出て就職しても、すぐ結婚して辞めるから、就職活動が難しいと言われていた。 大学というところは、4年間遊んで過ごすという印象も強く、「きっと私は遊ぶでしょう」と、わかっていた。 が、それ以前に受験する気も起こらなかった。 私は働きたかった。 「就職」させてくれと頼んだ。 が、「そんなもんはいつでも出来るだろう」と、言われた。 その通りだと思い断念した。 「専門学校」に進んでいいかと親に聞いてみた。 返事は即効で「ダメに決まってるだろう」。 その理由は、「将来就職して、偏差値が低くても、”大学”と名の付いている学校を卒業していれば優越感にひたれるんだぞ」であった。 と、いうことで、私の進む道は「短大」となったのだ。 |
|
|
![]() |
短大を無事卒業し、就職した。入社して初めてのお給料をもらった。 初めは研修があったので、みな同じだと思っていた。 が、「こいつバカじゃねぇのか? 仕事向いてないんじゃねぇの?」と、思っていた奴等の給料が自分より全然良いではないか。 ”大学卒”と、いうことだけでこれほど差がつくとは実際思っていなかった。 「将来就職して、偏差値が低くても、”大学”と名の付いている学校を卒業していれば優越感にひたれるんだぞ」の言葉など、一度たりとも思うことなく、むしろ、専門学校に行っていた方が色々身についたであろうに・・・!と、悔やむ一方であった。
お給料やボーナスなどでは勝てないが、「仕事では負けねぇぞ!!」と、頑張るのであった。 それしか「優越感」に浸れる瞬間がないのだ。 |
|
|
![]() |
|
結局、何が言いたかったのかというと、きっと私は大学卒の人がうらやましいからこんなことを言うのであろう。 なにがうらやましいか。 だって遊んだんでしょう? 毎日コツコツ勉強してた人いるの? バイトばっかしてたんじゃないの? 友達とかいっぱい出来たんじゃないの? それだけなのだ。 うらやましい点は。 「学歴」って言ったって、東大出ててお金持ちで性格悪くてブッサイクならどうするよ!? だったら頭悪くても、性格良くてかっこいい方がいいにきまってるじゃん!! ってなるでしょう? 私は性格悪くてもブサイクでもOKですんで、そのへんよろしく・・・。
要するに「気持ちの持ちよう」なのである。 |
STAFF ROOM 表紙